めも blog

なにかしらのめも

【この差】正座の歴史

スポンサーリンク

なぜ戦国時代の人たちが目上の人の前であぐらをかいていたのか

昔は目上の人の前で正座の習慣はなくあぐらで座るのが一般的だった。

いつから「正座」をするようになったのか

目上の方の前ではあぐらではなく、正座をするように決めたのは、第三代将軍 徳川家光

正座の方があぐらよりも美しく見えるという理由で正座を正しい座り方と決めた。というのは表向きの理由。

正座を正しい座り方と決めた理由

1635年 江戸時代初期、第三代将軍 徳川家光は、諸大名を1年おきに江戸に出向かせる参勤交代や、諸大名に江戸城の増築などを行わせる天下普請など、諸大名に謀反を起こす財力を蓄えさせないための政策を行なっていた。

家臣など身近な人間に襲われるかもしれないと、徳川家光の前に座る時はあぐらではなく、危座きざをすると定めた。

危座…当時の罪人の座り方
   現在の正座と同じ
   長時間座らせて、苦痛を与え、罪を白状させるための座り方だった。

家光の幼少期、家光の教育係である春日局に怒られた時、「将来 将軍様となる者、勉強せぬ者は罪です!罪人と同じ危座をして話を聞きなさい!」と言われ危座をしていた。
しばらくして立ち上がろうとした時、足がしびれて立ち上がれなかった。

「家臣がわしを襲おうとしてもなかなか立てない」と急に襲われる心配はなくなった

家臣の足をしびれさせて自分を襲えないように危座を正しい座り方にした。


そして、家光の前では「危座」が当たり前になると、次第に武士たちは目上の人の前でも「危座」をするように。

危座が正座と呼ばれるようになったのは、明治時代になってから。
「危座」という呼び名は印象が悪いということで、しいり方と書いて、正座と呼ぶようになった。

その後、正座は学校教育などに取り入られ目上の人の前では正座をすることが一般的になった。



この差って何ですか?  2018年7月17日