めも blog

なにかしらのめも

お花見の歴史

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桜はお花見をするのに、梅はお花見をあまりしない


なぜ花見と言えば「桜」のイメージが強いのか
現在では花見と言えば桜だが、元々花見は別の花だった。
最初の花見は、桜ではなく「梅」。


花見は奈良時代の貴族から始まった。

奈良時代、中国に遣唐使が派遣された頃、中国の貴族は「梅」のお花見をしていた。
「梅」の花見の文化が日本に入ってきた。
元々日本にはお花見をする文化はなかったが、中国に渡った遣唐使が中国の貴族が梅でお花見をしているのを見て、それを日本に伝えたため、日本の貴族も山に生えていた梅の木を屋敷の庭に植えてお花見を始めた。
奈良時代万葉集では、梅の和歌は110首、桜の和歌は43首。
奈良時代は、お花見といえば「梅」だった。

いつから桜でお花見をするようになったのか

平安時代 811年 貴族の間で梅の花見が大流行していた中、
桜の花見を最初に始めたのが嵯峨天皇

当時、天皇は住んでいる京都御所から出ることは滅多になく、久しぶりの外出だった。
御所車に乗っていた嵯峨天皇の目に、京都にある地主神社の境内に咲いていた満開の桜が目に入った。
車を止め、桜をしばらく見た後 御所車を走らせるが、引き返した。
御所車を走らせ、引き返すを数回繰り返す。
その桜の美しさに感動した嵯峨天皇は、「これからは梅ではなく桜で花見をしよう」。
翌年の812年 地主神社の桜の枝を京都御所に持って来させ、日本で初めて桜でで花見をした。

京都市東山区にある地主神社では今も桜が咲いている。
嵯峨天皇が何度も御所車を引き返させて眺めた桜の木、ということから 別名「車返しの桜」とも言われている。
その後、嵯峨天皇の息子 仁明天皇によって京都御所の梅を桜に植え替えられ、桜の花見が定着していった。

平安時代にまとめられた古今和歌集を見て見ると、梅の和歌は18首、桜の和歌は70首に。



この差って何ですか?  2018年3月27日